石巻へもと来た道を引き返す。すでに夕闇が濃くなり、瓦礫や荒野も闇に同化し、かつてあった町々は闇の中へ引き込まれてゆく。この状況の中で何を話すべきか、何を語るべきか。あの日、津波が町々を襲い、あっという間に町々が、人々の営みが、人の命の数々が消え去ったのだ。その重みはあの空気の中に、あの“atmosphere”の中に有り余るほど存在する。何もなくなった空間だけが、すべての重みを無言のまま語っているのだ。闇の中に黒々と連なる瓦礫。破壊された建物や家々。その間を縫って、何も話す必要のないまま、車は石巻へとひた走ることとなる。
石巻の何もなくなった空き地の一角に車を止めた。今夜はここで車中泊である。明日は東京に戻る。ここまで来て一体何を得たのか分からない。折り重なった混沌とした記憶だけが残っている。
翌朝、車は南下する。目指すは飯舘村である。けっこう早い段階から飯舘村のことは耳にしていた。しかし情報が錯綜するために何がなんだか分からないままでいた。それが今日、この目ではっきりと見るのだ。一体この日本で何が起こっているのかを。この飯舘村については拙ブログの
山津見神社に書いたのでそちらを参照されたい。まったく誰もいなくなった飯舘村は閑散としていて、夏の盛りだと言うのに家々の窓や扉は閉ざされたまま。畑や田んぼは雑草が生い茂り、すでにあぜ道との境界も分からないほどになっている。道にはゆりの花が咲いているが、摘んで持って帰ることなど到底出来もしないに違いない。大地は何もなかったかのように、元の自然に帰っていっている。しかし、その中には人も獣もすむことの出来ない放射線を抱えているのだ。飯舘村の中にひっそりと建つ山津見神社がこの先何十年、何百年もこの村を見守り続けるのかと思うとなんともいたたまれない。かつて先人たちが山を切り開き田んぼを築き水を引き、汗と涙で開墾した山々がすでに人の住むものではなくなってしまったのだ。それも目に見えない、この先何百年も続くかもしれない放射能で。
ゆっくりしたいところではあるが、他県ナンバーの車がうろうろしていたら怪しまれかねないので、再興を祈りながら車を走らせることにした。
この3日間で得たものはなんだったのか、考えるのは後回しにした。そうしないと情報量の多さとそれぞれの衝撃で自身が参ってしまうと考えたからだ。数ヶ月たってこのレポートをまとめた。いや、まとめることなんか出来るはずはないのだ。行って、この目で見ないと、その場の空気、“atmosphere”を感じないと。地震も津波も怖い、恐ろしいものである。しかしもっと恐ろしいのは、われわれは情報操作と管理、情報隔離の中で生きているということに本当の恐ろしさがある。
みなさんの何かの参考になればと思いながら拙文を綴ることにした。
ここであらためて、東日本大震災によってお亡くなりになられた方々に哀悼の意を捧げるとともに、地震や津波によって被災された方々に哀悼の意を表し、原発事故によって避難を余儀なくされた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
飯舘村に関しては以下のホームページをご覧ください。
愛する飯舘村を還せプロジェクト 負げねど飯舘!!
がんばれ茨城!
がんばれ福島!
がんばれ宮城!
がんばれ岩手!
がんばれ青森!
がんばれ東北!!

(東日本大震災での写真HPより転載)
この子供たちの笑顔がある限り。